模擬試験

  • 2017.10.15 Sunday
  • 07:00

ブログのタイトルを見て何かを感じた方、それは既視感というやつです(笑)

 

(これ前やった。)わからない方はスルーして下さい。

 

さて、Sakura塾の中3は五ッ木の模擬試験の第5回・第6回を強制受験としています。

これは費用が関係するので、どの学年でも必ず入塾時にお伝えさせいただいています。

 

これはSakura塾を始めて以来、初年度からずーっとそうです。

 

五ッ木の模擬試験の第5回・第6回を強制受験とするのはいくつか理由があります。

 

まずは、進路指導の資料としてですね。進路指導の資料としては、主に客観的な数字で自分の感覚の補助するという使い方です。その他多くの塾はこの客観的な数字を目当てに受験を必須としていることでしょう。それが全てみたいなのはまずいと思いますが、感覚だけでも危険ですからね。

 

子どもにとっては実際に同じ日に受験をする大阪府下の中学3年生を中心とする集団の中で、自分の立ち位置というものがある程度つかめますね。ただ、意外と子どもは数字に振り回されますので、数字等の説明はしてあげなければなりません。

 

第5回・第6回を受験にする理由は最も受験者が多いからです。やはり受験者が多いと進路指導の資料としては安定感があります。

私はこの2回の模試受験のうち、第5回のほうを重視しています。まぁ単純な話なんですが、直接に進路懇談に使うからですね。(Sakura塾では第6回の結果が返ってくる前に進路懇談は終わっています。)

 

次に、実力をつける勉強への動機づけというところでしょうか。定期テスト前の中学生が一番勉強を頑張っているように思いますが、やっぱり力を試される機会というのは強い動機づけになりますからね。中学生なんかは「高校に模擬試験を受けに行く」だけでけっこうなイベント感がありますから、とりあえずその日にいい結果出せるようにってのは頑張りやすくなります。

 

あとは、不慣れな環境で試験を受ける経験をしておくことと、その環境の変化に影響を受けやすいかの判断(これは塾内でも試験をするからできることですが)のためですかね。不慣れな環境では落ち着かなくて、普段の力が出しきれないような子は決して少なくありません。不慣れな場所でもほぼいつも通りの力が出せるのか、出せないならどの程度出せなくなるのか、出せないとすればどういう準備をしておけばいいのか、わかっていればいろいろと対策ができますからね。

 

だいたい理由はこの3つですかね。

 

だから、Sakura塾の中3は五ッ木の模擬試験の第5回・第6回を強制受験なんです。

 

そして、そのいろいろと大事な五ッ木の模擬試験の第5回は本日10月15日(日)なんですよっ!

 

 

しかし残念ながらー

 

これだけ説明してきた五ッ木の模擬試験の第5回を今年は強制受験にできなかったのです…(- -;)

 

理由?そりゃ、お祭りでしょ。枚岡神社の秋郷祭。

 

いや、正直言えばフツーのお祭りやったら2日あるんやから半日は我慢して模試に行けっ!って言いますよ私は。でも、フツーじゃないですよね。この祭り。今年はたまたま土日ですけど、そうでなくても小・中学校はお祭りで休みになるし、大人も子どもも昼間からずっとハッピ着てあちこちうろうろしているし、きのうは23:55に住宅街のド真ん中にあるSakura塾にガンガン聞こえるくらい太鼓の音してたし、とにかくこの地域全体がこの祭りを大事にしてますよね。熱量が地域の祭りとして大阪ではだんじり祭りの次くらいにくるんじゃないですかね。

 

だからまぁ、私はこの祭りへの参加を阻むことにはどうしても抵抗がありますね。さすがに模試でも強制したくない。この地域でこの祭りより優先順位が高いことってなかなかないような気がします。ということで、Sakura塾は毎年お祭りの日は授業も何もかもお休みです。

 

もちろん模試と日程がかぶってるの知ったとき「えーっ…」ってなりましたよ。五ッ木の模擬試験の第5回も大事やと思ってるから例年は強制受験にしてたわけですしね。ということで、今年は特別に第4回と第6回の強制受験としました。ただ第5回も希望するなら参加はできますから、数名は受験しますけどね。

 

ま、なんだかんだ言ってお祭りの2日間くらい遊びまくられるくらいどうにでもなるし、模試の数字はあくまで補助ですから進路指導も全然大丈夫なんですけどねっ!

 

さぁ、今日も天気が微妙かもしれませんが、祭りを満喫してくださーい!!!

 

 

 

未来・過去・今

  • 2017.10.14 Saturday
  • 22:23

私の仕事は何なのかな~って考えると、子どもの未来を変えることなんだと思ってるんですよ。

私のあらゆる仕事は、見え方はいろいろですけど結局は子どもの未来を変えるためにやっていますね。

 

先日、今年度第3回目の定期テストが終わりましたが、私はそれが始まる5日前くらいにはもうそれほどそちらに意識が傾いてなかったんですよね。もう私がどうこうする時期は過ぎたというか、そこから先は余計な手を出したら結果的に目先の得点稼ぎになる危険があるというか、まぁそれ以上にもう今回の結果はここまでの行動で決まったようなもんだから「さて次はどうするか」ってことに意識がいってました。

 

ただ、未来を変えていくためには、常に今この瞬間までの過去を見つめていなければいけません。各々がここまで何を積み上げてきたのかを正確に把握しないと、未来を変えてはいけないんですよね。正確に把握っていうのは、まぁもちろんいろんな数字もそうですけど、それ以上に「私にしかわからない何か」をです。真剣に子どもを見ておられる先生には、この「私にしかわからない何か」ってのがご理解いただけると思うんですが…。子どもをいろんな角度から見つめることで得られる感覚みたいなもんですかね。(この感覚で子どもの心の機微とか、見てないところの行動が把握できます。)私からこれがなくなってしまったら、商売あがったりです。数字見てわかることなんてのは、結局は材料があれば誰にでも言えてしまうことですからね。

 

で、じゃあどうやって未来を変えるのってなると、結局「今を変え続ける」しかないんですよね。

結局、大きな変化とは小さな変化の蓄積以外の何でもないですからね。

 

お説教は、未来を変えるために、過去の行動を振り返って、今の行動の変化を期待してするわけです。

三者懇談は、これからの自分を変えていくために、比較的最近の自分を振り返って、今から行動できることの握り合いが主ですね。

進路懇談は、進学を希望する高校に合格の太鼓判を押してもらうために、過去の数字と行動を振り返って、たった今からどうしていくべきかを提案したり相談したりするんですよ。

 

だから、お説教も、三者懇談も、進路懇談も、その他もろもろタイミング命って感じですね。

「今ここ!」っていうタイミングよりも、早いと効果が薄れたり、遅いと手遅れになったり。

 

あっ、少なくとも私はこういうつもりでやってますということです。

そうじゃない先生ってのもいろいろと耳にしますね。ろくでもないのも含めて。

 

ということで、私の何というか基本的な考え方としては、

過去なんて関係ない!未来はなんとかなる!なんて今思ってても何も起こらない。

過去を潔く認め、今をどうにかすることで、未来はどうにかなる!って感じです。

 

ほんとは、未来はどうにでもなる!としたいところですが、そう言い切ってしまえるほど簡単なことではないですね。

 

 

 

 

今日を頑張りたいみなさんへ

  • 2017.10.08 Sunday
  • 00:50

現状を変えられないヤツに、

 

未来は変えられない!

 

己の未来を変えたければ、

 

たった今の自分を変えるんだ!

 

以上!負けるな!頑張れー!!!

 

 

 

 

お説教

  • 2017.09.30 Saturday
  • 22:55

お説教はホントに嫌ですよね。されるのはもちろん、するのも嫌です。

 

私は説教をしますけど、「したくてしてる説教」なんて一つもないですね。

避けられるものであれば、徹底的に避けたい。

 

でも、「変わることができる対象」に対して、「変わる可能性がある」から、「変わるきっかけの1つ」として、説き教えることをします。

 

やっぱり「期待している」からするんですよ。「君は変われるはずだよ。」「君はそんなもんじゃないよ。」っていうね。そういう期待をしていない相手に説教なんてしませんからね。説教する側なんて、ほとんど損しかしませんし。でも、やっぱり期待をして説教をするんですね。

 

どの程度伝わるかはわからないですけどね。でも、まずは伝えないことにはわからない場合も多いですからね。

 

それをお勉強の時間使ってやるのはどうなの?って思われるかもしれないですけど、たいていは「お勉強する以前の問題」か「お勉強するより大切なこと」だからやっています。

 

Sakura塾はもちろん塾なんでお勉強を教えるわけなんですけど、勉強だけを教えるような塾ではありたくないんですよね。

抽象的に表現するなら、真っ直ぐな道の進み方とか、自分が見える視野の広げ方とか、人生の岐路の立ち方とか、新たな一歩の踏み出し方とか、そういった人生を進めていく上で必要になってくることを可能な限り教えておいてあげたい。

まぁ、所詮は私が伝えられる範囲のことになるんですけど、それでも人生を先行し多少は社会にもまれた一人の大人にそういったことをたくさん伝えられることには一定以上の価値があると思うんですよ。

 

「Sakura塾=私」みたいなもんですし、私のところに来ることに価値を見出してくれるんでしょうし、私にしか伝えられないことがあるんだと思いますし、まぁとにかく私が出せるもんは全部出してあげたいんですよね。塾生たちには。

 

ただまぁ何というか、厳しい側面を出してあげなければならないことが多いのが、なんか私の損しやすいところなんですけど。

「ちゃんと伝わる」までは「なんかやたらとうるさいおっさん」ですからね。損過ぎる…。

 

そのへんは、いつか伝わってくれればいいな…くらいであきらめるようにしてますけどね。目先の結果を求めてばかり伝えているわけではないですから。今すぐに伝わる子もいれば、後に何かをきっかけに伝わることもあるでしょうし。

 

えっと…、何の話でしたっけ?お説教?説教されたければSakura塾へ!…何か違うっ!!!

 

 

 

 

丸つけ

  • 2017.09.26 Tuesday
  • 11:50

最も効率のいい勉強は、自学自習だと思っています。

 

でも、小学生や中学生にとっては、全く知らないことを参考書などの文章から理解することは簡単ではありません。

それについては、先生の授業で「知らない」→「知る」、「わからない」→「わかる」ようにするんですよね。

 

だから、小学生や中学生にとっての自学自習とはほとんどが復習ということになります。

小学生や中学生の宿題のほとんどが復習になるのはこのためですね。

 

復習によってするべきことは「できない」→「できる」、「覚えてない」→「覚える」ことですよね。

(ちなみに学力をつけるには、「できる」までやる、「覚える」までやる、が最も必要なことでしょう。)

 

そして、その小学生や中学生にとっての自学自習を成立させるために必要なことのひとつは「丸つけができること」です。自学自習には最低限「間違っていることが見つけられる」力が必要です。「正しくできていない」を見つけられる、「正しく覚えていない」を見つけられることで、それを「正しくできる」ように、それを「正しく覚える」ことができます。

 

「いや、そんなこと解答さえあればできるやろ。」

 

って、思いたいんですけどね。想像している以上にできないんです。

 

小学生って、だいたい大人が丸つけをしてくれるんですよ。先生とか、保護者とかがね。

 

(解答を渡してもらえない場合も多いですね。大人の丸つけ待ちがあったりします。そのせいで、問題を解いただけで満足する子が多いんですよね…。ま、これは別問題なのでおいておきます。)

 

そして、中学生の宿題は問題解いて自分で丸つけまでして提出なんですよね。

でも「自分できちんと丸つけができるように」はしてもらってないんですよ。

 

最初から自分できちんとできる子もいますけど、最初は自分できちんとできない子もいますよね。

 

先日、小学6年生に英作文の小テストをして、自己採点してもらったんですよ。

自己採点後の小テストをチェックしてみるとね、8割近くの子が採点ミスをしていました。

 

冠詞が抜けてるのに〇をしたり、英単語のつづりを間違えているのに〇をしたり、らじばんだり

まぁ「どこ見て丸つけしてるの?」って思ってしまいますけど、そんなもんなんですよ。最初は。

 

ただ、こういう間違っているものを間違っているときちんと判断できない状態では、自学自習の質は高まりませんね。

ということで、私はいつも小学6年生の後半と中学1年生の最初は丸つけについてはかなり厳しく確認しています。

 

本音としては、毎日通って毎日宿題を出す小学校のほうがこれについては指導しやすいでしょうし、こういうことこそ子どもたち全体の学力の底上げになるのにな~なんて思ったりしています。

 

 

 

突然の訪問者へ

  • 2017.09.22 Friday
  • 01:40

さて、続きです。就職する会社選びに悩む教え子。

 

聞いていると、

「こちらはこういう仕事ができて、規模はこんな感じで…」

「あちらは勤務先がこうなって、こんな仕事ってのは約束してもらってて…」

とまぁ正直、ネットで調べればわかりそうなことを言っていました。

 

一通り聞いたあと、「会社の人とどれくらい会ったん?」と聞いてみたら、ほとんど会っていない様子。

 

私の持論は「環境は人」です。

 

やりたい仕事がどうこうも最低限あると思いますが、その最低限はクリアしているなら、あとは人が全てかな、ぐらいの勢いです。

 

例えば、そこで働いている人がどんな顔して働いているかで、職場の状況はわかりますよね。

例えば、その会社の人と接すると、社内教育の質や気配りなどを肌で感じることができますよね。

 

そして、やりたい仕事ができるなら、あとは「誰といっしょに働けるのか」じゃないですかね。

尊敬できる上司と出会えるとか、信頼できる同僚ができるとか、めちゃくちゃ大事でしょ。

そんな上司に出会えそうな場所か、そんな同僚ができそうな環境かどうかって、大切ですよ。

 

旅行だって「どこに行くか」じゃなくて「誰と行くか」なんてこと言うじゃないですか。

 

だから、伝えました。今からでも、その会社の人を見たほうがいい。多少は無理を言ってでも、会社を見学させてもらったり、先輩や上司になる人に会わせてもらってたりしたほうがいい。それで、この人と働きたいと思えたり、こんな人たちと働いてみたいと思えたら、もう迷わないと思うんですよね。

 

「本気で決めるため」と伝えれば相手もそれに応えてくれるはずだし、それを断るような会社なら就職なんてしないほうがいいです。これから働こうとしてる場所を見学すらさせてもらえないなんて、明らかにおかしいですからね。怪しすぎます。

 

これは就職だけでなく、環境選び全般に通用する考え方なんじゃないかな〜と思っています。

子どもが通う塾選びもその一つかなと思いますので、選んでもらえる先生でありたいものです。

 

ということで、私が伝えたことが役に立ったのかどうかはわからないですが、教え子も就職先を無事決めることができたようです。めでたしめでたし。

 

 

 

突然の訪問者

  • 2017.09.20 Wednesday
  • 16:54

きのう、突然の訪問者がありました。

 

それは現在大学4年生の元教え子。

元教え子と言っても以前勤務していた塾での教え子。

しかも諸々の都合で卒塾の時まではそばで教えてあげられなかった教え子。

 

前に来てくれたのは大学1年生になった頃だったので、3年半ぶりくらいです。

 

私「お〜久しぶり〜!遊びに来てくれたんかぁ〜!!!」みたいなね。

 

そしたら、

 

彼「ちょっとご相談したいことがあるんですけど…」とね。

 

私「おっ、なんやなんや〜?!」

 

彼「実は就職先をどうすればいいか迷ってまして…〇〇社と××社で悩んでて、返事をずっと待ってもらってて返事の期限が明日なんですけど、〇〇社はあーでこーで××社はあーでこーで…。」

 

私「ほぅ。うーん。そうか。なるほどなぁ…」

(…えっ?!期限明日?!)

 

相談を受ける者になかなか酷な時間制限設けてきました。

明日返事せなアカンかったらやれること限られとるやないか!

(彼が来たのはきのうの16時より少し前。)

 

ということで、まぁ私の考えと策は彼に伝えさせていただきました。

 

このブログでその内容を書くつもりだったんですが、それはまた次の機会に!

 

 

 

コードブルーが終わった。

  • 2017.09.19 Tuesday
  • 11:30

何回コードブルーのこと書くんだよって感じなんですが…。

 

最終回のセリフに感じるものがあって…

 

「医者は所詮、助かる命しか救えない。手の施しようのない患者を、神のように救うことなんてできない。」

 

ですよね…。みたいな。

 

「塾講師は所詮、伸びる子どもしか伸ばせない。どうしようもない子どもを、神のように伸ばすことなんてできない。」

 

塾講師として、こういう局面に出会わないわけではありません。打ちのめされてしまうようなことだってあります。なかったとしたら相当なカンチガイ講師でしょうね。現実として、大なり小なりそういうことはあります。

 

ですが、だからと言って「合わないので伸ばせません」とか「もう遅いです」とか、そういう言い逃れを簡単にしてしまうなら、それを事前に強調して避けてしまうようなら、塾講師として存在意義すら感じません。(何の力も根拠もなく何でもかんでも「お任せ下さい」は罪深いですけどね。)

 

ドラマでは、上記の言葉とは裏腹に手の施しようのない患者をたくさん救っています。

違いますね。どうしても手の施しようのなかった患者は救えていません。

ドラマでは、手の施しようのないように見える患者もたくさん救っていました。

その医者の力量次第で、手の施しようのないように見える患者も救うことができるんですね。

 

私たちも同じですね。どうしようもないように見える子どももどうにかしたい。

手の施しようのない事例の種類は、その先生の力量次第で減らすことができると思うんですよ。

どうしようもない子どもというのは、その前に「その先生の力量では」という言葉がつくのです。

 

ドラマでの続きのセリフは…

 

「救える命を確実に救う。そのために日々学んでいる。」


だよな…。みたいな。

 

「伸ばせる子どもを確実に伸ばす。そのために日々学んでいる。」

 

より確実に伸ばすために日々学ぶのは当然なんですけど、塾講師として自身の力量を上げることで伸ばせるように見える子どもを増やしていくためにも日々学ばなければなりません。

 

「私は君を伸ばせる。」

 

そう言ってあげられる子どもを一人でも増やせるように、日々学んでいきたいと思います。

 

 

 

P.S. 山Pカッコよ過ぎてずるくない?!

 

ボウリング

  • 2017.09.18 Monday
  • 06:45

みなさん、ボウリングってどれくらいされてるんですかね。

 

 

ボウリングは重たい球を転がして、10本のピンをどれだけ倒せるかという遊びですね。このブログは「いちおうボウリングは知っている」程度の知識はないと意味がわからないかもしれません。

 

私はここ10年くらいはほとんど行ってないですが、もっと前はちょこちょこ行ってました。

 

ボウリングは人それぞれに投げ方や狙うコースにクセがあるものです。

 

私はね、一投目はとにかく超真っすぐのド直球を力いっぱいド真ん中に投げ込むタイプなんですよ。「一発で10本のピンをぶっ倒すぞ!オラ!」みたいな勢いですね。ほとんどこの投げ方です。

 

一投目で1、2本残ってしまったときの二頭目は、とにかく丁寧に狙いを定めて真っすぐ当てにいきます。

 

それ以外で投げるのは不必要なくらい曲がる変化球ですね。たまーにやりたくなるんです。

自身はレーンの一番左端から投げて、ボールは一度レーンの右端近くまで転がるんですけど、ボールの回転でギリギリのところで左に曲がって、最終的にボールが1番ピンのド真ん中にあたる、みたいな。

 

 

人は言動のいろんなところに性格が出るといいますよね。

なので、私の性格がこの投げ方に出ているかもしれません。

 

だからと言って、投げ方聞いてもどんな性格かよくわかりませんよね。

 

 

いや、クセがすごいってことはないと思います!

 

 

 

フィックスで?!

  • 2017.09.16 Saturday
  • 00:30

私のブログなどにおける言葉選びの基準は、伝わりやすさです。

 

カタカナコトバは使わない!という崇高な矜持は私にはありません。

 

それでも私はカタカナコトバを使うことがそれほど多くないと思うんですが、それは日本語で伝わる、日本語のほうが伝わると判断する場合が多いからなんだと思います。

 

 

でもどちらかと言えば、意識の中にカタカナコトバはあまり使いたくないというのはあるかもしれません。

 

以前に書いたかもしれないですが、それは過去に勤めていた塾で嫌いだった上司とのやり取りで決まりました。

 

その嫌いな上司が職員室からの去り際に私に聞いてきました。

 

「たくまくーん、〇〇の件はフィックスで?!」

 

とね、去り際に聞いてくるもんだから、「…はい!そうです!」って一瞬の間の後に返しました。

 

でも、私は思っていますよね。その一瞬の間に…

 

「はぁ?!」って。

 

そしてその上司が去ってから再び私は思いますよね…

 

「フィックス…?はぁ?!」

 

その後、その上司のことは大嫌いになりました。

 

わかります?フィックス。調べてみて下さい。

調べても思いますよ。…どの意味で使ったん?!

 

 

私の思い出話はどうでもいいですね。

ということでカタカナコトバはどちらかといえば好きではないです。

 

でもまぁもうむしろカタカナこコトバのほうが意図に近い意味で伝わる場合は平気で使います。

テストとか、ルールとか、タイミングとか、ダイエットとか、チャリとか。

 

ただ、日本語の語彙ももちろん大事にしてますよ。

ただ個人的には話すとき書くときよりも、聞くとき読むときに大事になります。

 

 

私は子どもに関わる先生が、カタカナコトバであれ日本語であれ、相手により伝わる言葉を選べていないことには強い違和感があります。

 

伝達対象の平時活用語彙から乖離したチョイスをすることに当人のアビリティ欠如の疑いを有します。

 

思いましたよね?「はぁ?!」って。

なんでそんな言葉使ってんの?どういうつもり?って思いますよね。

 

こんなもん「伝えたい相手がいつも使ってないような言葉を選ぶのはその人の伝える力が足りんのちゃうかと思うんです。」でいいでしょ。

 

もちろん、その言葉をあえて使うことで伝えたいことがあるのであればいいんですよ。

 

もしそうでないのであれば、伝える側の言葉選びにセンスも配慮もないだけですよね。とにもかくにも、子どもに関わる先生が言葉選びにセンスも配慮もないのはどうかと思いますし、言葉選びに無自覚であるというのはけっこうな問題だと思います。

 

私は難しい言葉を使うときも、雑な言葉を使うときも、自覚してあえて選んで使っています。無自覚に使っている言葉は中学3年生くらいに気持ちよく伝わる程度の言葉になっていると思いますね。

 

書きながら思いましたが、自身の言葉を自覚できることは先生には必要な資質のような気がします。

 

 

あっ、もしあの上司がフィックスを自覚してあえて選んでいたのだとしたら…

 

うん、それはやっぱり「はぁ?!」って思いますね。

 

 

 

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