突然の訪問者へ

  • 2017.09.22 Friday
  • 01:40

さて、続きです。就職する会社選びに悩む教え子。

 

聞いていると、

「こちらはこういう仕事ができて、規模はこんな感じで…」

「あちらは勤務先がこうなって、こんな仕事ってのは約束してもらってて…」

とまぁ正直、ネットで調べればわかりそうなことを言っていました。

 

一通り聞いたあと、「会社の人とどれくらい会ったん?」と聞いてみたら、ほとんど会っていない様子。

 

私の持論は「環境は人」です。

 

やりたい仕事がどうこうも最低限あると思いますが、その最低限はクリアしているなら、あとは人が全てかな、ぐらいの勢いです。

 

例えば、そこで働いている人がどんな顔して働いているかで、職場の状況はわかりますよね。

例えば、その会社の人と接すると、社内教育の質や気配りなどを肌で感じることができますよね。

 

そして、やりたい仕事ができるなら、あとは「誰といっしょに働けるのか」じゃないですかね。

尊敬できる上司と出会えるとか、信頼できる同僚ができるとか、めちゃくちゃ大事でしょ。

そんな上司に出会えそうな場所か、そんな同僚ができそうな環境かどうかって、大切ですよ。

 

旅行だって「どこに行くか」じゃなくて「誰と行くか」なんてこと言うじゃないですか。

 

だから、伝えました。今からでも、その会社の人を見たほうがいい。多少は無理を言ってでも、会社を見学させてもらったり、先輩や上司になる人に会わせてもらってたりしたほうがいい。それで、この人と働きたいと思えたり、こんな人たちと働いてみたいと思えたら、もう迷わないと思うんですよね。

 

「本気で決めるため」と伝えれば相手もそれに応えてくれるはずだし、それを断るような会社なら就職なんてしないほうがいいです。これから働こうとしてる場所を見学すらさせてもらえないなんて、明らかにおかしいですからね。怪しすぎます。

 

これは就職だけでなく、環境選び全般に通用する考え方なんじゃないかな〜と思っています。

子どもが通う塾選びもその一つかなと思いますので、選んでもらえる先生でありたいものです。

 

ということで、私が伝えたことが役に立ったのかどうかはわからないですが、教え子も就職先を無事決めることができたようです。めでたしめでたし。

 

 

 

突然の訪問者

  • 2017.09.20 Wednesday
  • 16:54

きのう、突然の訪問者がありました。

 

それは現在大学4年生の元教え子。

元教え子と言っても以前勤務していた塾での教え子。

しかも諸々の都合で卒塾の時まではそばで教えてあげられなかった教え子。

 

前に来てくれたのは大学1年生になった頃だったので、3年半ぶりくらいです。

 

私「お〜久しぶり〜!遊びに来てくれたんかぁ〜!!!」みたいなね。

 

そしたら、

 

彼「ちょっとご相談したいことがあるんですけど…」とね。

 

私「おっ、なんやなんや〜?!」

 

彼「実は就職先をどうすればいいか迷ってまして…〇〇社と××社で悩んでて、返事をずっと待ってもらってて返事の期限が明日なんですけど、〇〇社はあーでこーで××社はあーでこーで…。」

 

私「ほぅ。うーん。そうか。なるほどなぁ…」

(…えっ?!期限明日?!)

 

相談を受ける者になかなか酷な時間制限設けてきました。

明日返事せなアカンかったらやれること限られとるやないか!

(彼が来たのはきのうの16時より少し前。)

 

ということで、まぁ私の考えと策は彼に伝えさせていただきました。

 

このブログでその内容を書くつもりだったんですが、それはまた次の機会に!

 

 

 

コードブルーが終わった。

  • 2017.09.19 Tuesday
  • 11:30

何回コードブルーのこと書くんだよって感じなんですが…。

 

最終回のセリフに感じるものがあって…

 

「医者は所詮、助かる命しか救えない。手の施しようのない患者を、神のように救うことなんてできない。」

 

ですよね…。みたいな。

 

「塾講師は所詮、伸びる子どもしか伸ばせない。どうしようもない子どもを、神のように伸ばすことなんてできない。」

 

塾講師として、こういう局面に出会わないわけではありません。打ちのめされてしまうようなことだってあります。なかったとしたら相当なカンチガイ講師でしょうね。現実として、大なり小なりそういうことはあります。

 

ですが、だからと言って「合わないので伸ばせません」とか「もう遅いです」とか、そういう言い逃れを簡単にしてしまうなら、それを事前に強調して避けてしまうようなら、塾講師として存在意義すら感じません。(何の力も根拠もなく何でもかんでも「お任せ下さい」は罪深いですけどね。)

 

ドラマでは、上記の言葉とは裏腹に手の施しようのない患者をたくさん救っています。

違いますね。どうしても手の施しようのなかった患者は救えていません。

ドラマでは、手の施しようのないように見える患者もたくさん救っていました。

その医者の力量次第で、手の施しようのないように見える患者も救うことができるんですね。

 

私たちも同じですね。どうしようもないように見える子どももどうにかしたい。

手の施しようのない事例の種類は、その先生の力量次第で減らすことができると思うんですよ。

どうしようもない子どもというのは、その前に「その先生の力量では」という言葉がつくのです。

 

ドラマでの続きのセリフは…

 

「救える命を確実に救う。そのために日々学んでいる。」


だよな…。みたいな。

 

「伸ばせる子どもを確実に伸ばす。そのために日々学んでいる。」

 

より確実に伸ばすために日々学ぶのは当然なんですけど、塾講師として自身の力量を上げることで伸ばせるように見える子どもを増やしていくためにも日々学ばなければなりません。

 

「私は君を伸ばせる。」

 

そう言ってあげられる子どもを一人でも増やせるように、日々学んでいきたいと思います。

 

 

 

P.S. 山Pカッコよ過ぎてずるくない?!

 

ボウリング

  • 2017.09.18 Monday
  • 06:45

みなさん、ボウリングってどれくらいされてるんですかね。

 

 

ボウリングは重たい球を転がして、10本のピンをどれだけ倒せるかという遊びですね。このブログは「いちおうボウリングは知っている」程度の知識はないと意味がわからないかもしれません。

 

私はここ10年くらいはほとんど行ってないですが、もっと前はちょこちょこ行ってました。

 

ボウリングは人それぞれに投げ方や狙うコースにクセがあるものです。

 

私はね、一投目はとにかく超真っすぐのド直球を力いっぱいド真ん中に投げ込むタイプなんですよ。「一発で10本のピンをぶっ倒すぞ!オラ!」みたいな勢いですね。ほとんどこの投げ方です。

 

一投目で1、2本残ってしまったときの二頭目は、とにかく丁寧に狙いを定めて真っすぐ当てにいきます。

 

それ以外で投げるのは不必要なくらい曲がる変化球ですね。たまーにやりたくなるんです。

自身はレーンの一番左端から投げて、ボールは一度レーンの右端近くまで転がるんですけど、ボールの回転でギリギリのところで左に曲がって、最終的にボールが1番ピンのド真ん中にあたる、みたいな。

 

 

人は言動のいろんなところに性格が出るといいますよね。

なので、私の性格がこの投げ方に出ているかもしれません。

 

だからと言って、投げ方聞いてもどんな性格かよくわかりませんよね。

 

 

いや、クセがすごいってことはないと思います!

 

 

 

フィックスで?!

  • 2017.09.16 Saturday
  • 00:30

私のブログなどにおける言葉選びの基準は、伝わりやすさです。

 

カタカナコトバは使わない!という崇高な矜持は私にはありません。

 

それでも私はカタカナコトバを使うことがそれほど多くないと思うんですが、それは日本語で伝わる、日本語のほうが伝わると判断する場合が多いからなんだと思います。

 

 

でもどちらかと言えば、意識の中にカタカナコトバはあまり使いたくないというのはあるかもしれません。

 

以前に書いたかもしれないですが、それは過去に勤めていた塾で嫌いだった上司とのやり取りで決まりました。

 

その嫌いな上司が職員室からの去り際に私に聞いてきました。

 

「たくまくーん、〇〇の件はフィックスで?!」

 

とね、去り際に聞いてくるもんだから、「…はい!そうです!」って一瞬の間の後に返しました。

 

でも、私は思っていますよね。その一瞬の間に…

 

「はぁ?!」って。

 

そしてその上司が去ってから再び私は思いますよね…

 

「フィックス…?はぁ?!」

 

その後、その上司のことは大嫌いになりました。

 

わかります?フィックス。調べてみて下さい。

調べても思いますよ。…どの意味で使ったん?!

 

 

私の思い出話はどうでもいいですね。

ということでカタカナコトバはどちらかといえば好きではないです。

 

でもまぁもうむしろカタカナこコトバのほうが意図に近い意味で伝わる場合は平気で使います。

テストとか、ルールとか、タイミングとか、ダイエットとか、チャリとか。

 

ただ、日本語の語彙ももちろん大事にしてますよ。

ただ個人的には話すとき書くときよりも、聞くとき読むときに大事になります。

 

 

私は子どもに関わる先生が、カタカナコトバであれ日本語であれ、相手により伝わる言葉を選べていないことには強い違和感があります。

 

伝達対象の平時活用語彙から乖離したチョイスをすることに当人のアビリティ欠如の疑いを有します。

 

思いましたよね?「はぁ?!」って。

なんでそんな言葉使ってんの?どういうつもり?って思いますよね。

 

こんなもん「伝えたい相手がいつも使ってないような言葉を選ぶのはその人の伝える力が足りんのちゃうかと思うんです。」でいいでしょ。

 

もちろん、その言葉をあえて使うことで伝えたいことがあるのであればいいんですよ。

 

もしそうでないのであれば、伝える側の言葉選びにセンスも配慮もないだけですよね。とにもかくにも、子どもに関わる先生が言葉選びにセンスも配慮もないのはどうかと思いますし、言葉選びに無自覚であるというのはけっこうな問題だと思います。

 

私は難しい言葉を使うときも、雑な言葉を使うときも、自覚してあえて選んで使っています。無自覚に使っている言葉は中学3年生くらいに気持ちよく伝わる程度の言葉になっていると思いますね。

 

書きながら思いましたが、自身の言葉を自覚できることは先生には必要な資質のような気がします。

 

 

あっ、もしあの上司がフィックスを自覚してあえて選んでいたのだとしたら…

 

うん、それはやっぱり「はぁ?!」って思いますね。

 

 

 

抗え

  • 2017.09.15 Friday
  • 10:40

目標というのは、今まで通りでは達成できないことに意味があります。

そのまま頑張れば到達するものを、わざわざ目標として目指す意味はありません。

 

目標を達成するために必要なこと。それは今の自分に抗うこと。

「今のままではダメだ。」それをどれだけ変えていけるかが勝負どころです。

 

それは小さな目標でも、大きな目標でも同じことです。

 

例えば、テストで今よりいい点数をとれるようになりたい。

例えば、〇〇高校に合格したい。

 

どちらもやることは同じです。自分を変えること。

 

今までよりいい点を取れるような自分に変わる。

〇〇高校を合格できるくらいの力をつける自分に変わる。

 

何も考えずただたくさん書くような覚え方はダメだ。

自身の理解の確認をともなわない問題演習ではダメだ。

提出期限直前にあせってギリギリで宿題をやるようではダメだ。

間違えたとき「なぜ間違えたのか。」が気にならないようではダメだ。

 

自分のダメなところにどれだけ抗えるか。

こういう自分からどれだけ変われるか。

 

それが、目標を達成させることでしょう。

 

とりあえず、まずは、自分のダメなところに、抗え。

 

 

 

自分で考える

  • 2017.09.11 Monday
  • 11:00

自分で考えるなんてことは、できて当たり前のことだと大人の多くは思うようですが、なかなかうまくいきません。

 

特に自分のことであればなおさらです。自分を客観的に見つめ、自身の課題を見つけ出す。大人を見ても、自分の姿を客観的に見ることができていないと感じられる場合がたくさんありますね。

 

ですから、いろいろと経験の少ない小学生・中学生・高校生であればなおさらだと思います。考えようにも考え方がわからないだろうし、解決しようにも解決策が浮かばないのが普通でしょう。

 

大人ですら「こんな考え方したことなかった!」「そんな解決策があったとは…!」ということたくさんあります。こんな考え方やそんな解決策は、いくらやっても自分の中になければ引き出しようがないものです。今までも、これからも、人の話や本などからそういうものを獲得し続けながら生活していきますよね。

 

そういうことが自分でできる中学生がいれば、その子はめちゃくちゃ賢いですよね。それこそ毎日勝手に成長していきますから、その子が勉強に取り組んでいれば、近畿圏最大規模の模試で偏差値70前後くらいは悪くとも出しそうです。自分を客観的に見つめ、自身の課題を見つけ出すことができるのであれば、塾なんかほぼ必要なく中学校でのテスト結果では上位層に居続けるでしょう。

 

逆に言えば、そのくらいになっていないのであれば「自分を客観的に見つめ、自身の課題を見つけ出す。」ことはできていないと思います。少なくとも私が思う「自分を客観的に見つめ、自身の課題を見つけ出す。」ができている状態にはなっていません。

 

取り組んではいても、不十分なんだと思います。多くの中学生がこの「取り組んではいるけど、まだまだうまくいかない。」で苦労をするでしょう。だから、指導者が存在しています。指導者に支えてもらいながら、成長していくんですね。

 

中学生をほったらかして自分で考えさせておけば、いつかその子にとって最高の方法を見つけ出すなんてことはないでしょう。

 

私は、Sakura塾から枚岡中学校まで行く方法を知っていますが、それが最高の方法なのかはわかりません。

私の知らないもっといい行き方があるのかもしれません。でも、知る限りそれが一番いいんじゃないかと思っています。

でも所詮は「知る限り」なんです。自分が調べることができて、自分の知ることのできる範囲ではというだけです。

 

中学生なんかはまだまだ「知る限り」が少ないわけですから、最高の方法は見つけ出しにくでしょうね。

 

「わかる」と言って全くわかっていない、「できる」と言って全然できない、自分を客観的に見つめられない中学生が大半です。それは中学生が悪いわけではなく、まだまだそんなもんなんです。知識もなければ考え方も未熟なんです。だから、たくさん教えてやらなくちゃならないんですよね。そこから自分の課題を「正しく」見つけ出すことができるまでは、なかなかの道のりですよ。少なくとも、それができてなかった子に自分で考えさせて、それができるようになることは非現実的です。それこそ「そもそもできる子」でなければ難しいですね。

 

なかなかうまくいかないからこそ、自身の子どもには、自分を客観的に見つめ、自身の課題を見つけ出すことができるようになっていってもらいたいものですね。そして、そうなっていけるような指導をしてくれる指導者に出会いたいものですよね。

 

そんな指導者の見つけ方?少なくとも「自分を客観的に見つめ、自身の課題を見つけ出すことのできている指導者」でなければなりませんね。人に偉そうに言うだけで、自身の課題を見つけ出せず(見つけ出そうともせず)にいるような「自分はデキる先生」と思い上がっているような指導者はやっぱりダメなんでしょうね。

 

私も、自身に対しても、塾生に対しても、程度の低い状態で思い上がるようなことのないようにしなければなりませんね。

 

 

 

もう歳ですから。

  • 2017.09.10 Sunday
  • 01:40

最近、毎日授業が終わると体中がきしむような感覚におそわれるんですよね。もう歳ですかねぇ…。

 

 

近頃、授業終わって、腰をかけて、ふと思うんですよ。

 

授業が終わったとき、毎日これくらい疲れてる塾の先生ってどれくらいおんのかなって。

 

つまらない会議や過剰な営業活動に身を削ってる先生は多いのかもしれませんが…。

 

塾生の指導のために身を粉にできる先生、それほど多くないんじゃない?!とか思っています。

 

余裕で「お疲れっした〜!」とか軽い足取りで帰ってる塾の先生って、多そうですよね。

 

 

私はもう体のあちこちに油をさしたいくらいですよ。もう歳ですかねぇ…。

(実際にはベタベタになるだけなんで油をさすわけはないですよ?そう、これが比喩表現ですね。)

 

 

まぁ、毎日やれるだけやったらこうなりますから仕方ないですね。余力残すほうがどうかと思います。

 

残念なことに私の満足感は自己に基準がないんで、どこまでも終わりがないんですよね。

 

自分で「これで完璧や!」って勝手な基準設けて満足できるような人間であればもっと楽なんですけど、

 

塾生の指導に完璧なんてあるわけがないので、もう果てのない道を突き進み続けている状態ですね。

 

結局毎年指導については何かを更新し続けている状態なので、どこまでいっても楽にならないというね。

 

 

このペースでやってて、どこまでもつかな?って思ってしまいますね。もう歳ですからねぇ…。

 

 

…はい。そうなんですよ。最近、1つ歳をとっちゃったんですよね。私。

 

 

なんじゃこのブログ。「だから何?!」的なね。こんなこと書くつもりじゃなかったのに…。

 

書くつもりだった内容はまた次回のブログで!忘れる前に書けたら書きます!(すでに「何を書くつもりやったっけ?」状態に突入しております。)

 

 

 

 

その程度

  • 2017.09.04 Monday
  • 01:30

「こうしていきたい。」

「これはこのままじゃダメだ。」

「こうしたほうがいいかもな。」

「こうしていかなくちゃいけないな。」

みたいなことを毎日考えて、限りある時間の中で可能な限り実現していく。そんな毎日です。

 

 

私がこんな毎日を送るようになったのは、ある程度以上先生として成長してからです。(もちろんSakura塾ができるより前です。)

 

なんというか、自分が「先生と呼ばれてイキってる」程度のときは「自分はデキる先生」とか思ってた気がしますし、自分の指導は「正しい」とか「深い」とか「他とは違う」とか盲目的に信じてた気がしますね。今となってはホントに恥ずかしい。あーでも、それでも「自分は正しい」からって「他はダメ」って思考になったことはなかったですね。その部分だけはずっと間違ってなかったように思います。それをしてしまっていたら、「寝言は寝て言え」って感じですね。

 

まぁでも、周囲はそんな先生ばっかりだった気がしますし、今でも見聞きする先生はそんな先生が圧倒的に多いように思います。

 

 

私はいつからか、自分が大したことをしているわけでもないのに他の人のことをぐちぐち言ってる先生が嫌いになりました。

 

ほんとにどれだけ嫉妬してるのかわからないですけど、自身はさも正しいかのように「〇〇はダメ」と執拗に繰り返す。大して知りもしないのに表面だけで否定して、自身には具体的に説明できる特別な取り組みがあるわけではない。そして圧倒的な結果を出しているわけでもなく、出している結果は否定している相手と大して変わらないかそれ以下…。それで出てくる言葉は「数字にならない部分が全然違う」とか、「将来こういう差がつく」とか、聞き苦しい無様な言い訳のみ。

 

「あなたの具体的な取り組みはいったいどのようなことなんですか?」

「否定している相手の取り組みをどれくらい詳しく知っているんですか?」

「正しいにも関わらず、結果で大した差がつかない(どころか負ける)のはなぜですか?」

「数字にならない部分はどうやって観測するんですか?相手にそれがないという根拠は?」

「将来こういう差がつくって、今ですら差をつけられないのになぜ言えるんですか?」

「〇〇先生(←えらい人)も同じように言っているって、だから何なんですか?」

「あなたのやり方が正しいのならば、必ずうまくいくはずなんですが、そうなっているんですか?」

 

とまぁ挙げればきりがないくらいツッコミどころ満載なんですけど、どうせごまかしたような返ししかできないと思っていたので言っていません。

 

とりあえずね、そういう先生は「先生と呼ばれてイキってる」程度で成長を止めてはるんです。他を頭ごなしに否定できるのはその程度だからなんです。ある意味で、幸せな先生だとは思いますけどね。カンチガイして、えらそうにしていられるんですから。

 

 

私は過去問を使いまくっても塾生を伸ばすことはできます。課題を4分の1にしても塾生を伸ばすことはできます。ただそのやり方では、うちの塾生の伸びが、塾生の成長が最大にならないからそのやり方をしないだけです。私以上の先生はみなさんそうです。だから他のやり方を否定するようなことはしないんですね。(そんな先生が他のやり方を否定をする場合は、特定の塾のやり方をほんとに詳しく知っていて、よほどひどい場合のみ。)その塾のあらゆる面を考えた上で、最良と考える方法で塾生を最大限伸ばそうとしているとわかっているからです。自身の主張はありますけど、他を否定するようなことはしません。そうする必要がないんです。

 

 

ということで、限りある時間の中で可能な限り塾生を伸ばす取り組みを更新していく毎日の中で、またブログも書きますね。

 

記事の更新の波があると思うんですけど、悪しからずご了承下さい。

 

 

※カタカナコトバを使っていてお叱りを受けそうですが、私のカタカナコトバの使い方は読みやすいと思うんですよね!(全然カタカナにする必要のない言葉を多々カタカナにしておりますが…。)

 

私のアウトプットのスタンスは読み手のモチベーションをアップさせるし、デメリットが少ないバランスのとれたアプローチだと思うので、ぜひこのブログをトレースすることにウェイトをおいてレベルの高いコンセプトを打ち出していきましょう!(←これが叱られるヤツ。)

 

 

 

決めつけ

  • 2017.08.29 Tuesday
  • 11:30

何かを勝手に「決めつけ」ると、一時的に楽になります。

 

例えば、子どもが「課題が多いと私にはついていけない」

やりもせずにこう決めつけてしまえば、課題が少ない生活ができて、一時的に楽に過ごすことができますね。

 

例えば、先生が「課題が多いと自分で考えなくなる」

知りもせずにこう決めつけてしまえば、自分のやっていることは正しいと錯覚して、一時的に楽になりますね。

 

例えば、保護者が「課題が多くて子どもがかわいそう」

確認もせずにこう決めつけてしまえば、自分は子どもを思って行動してると考えて、一時的に楽になりますね。

 

まぁ、何の把握もなく無謀に課題が多いせいでそういう結論になる場合も多くありますけどね。

しかし、自分の責任にしないための「決めつけ」も同じくらいあると心の底から感じています。

 

何というか、もったいないですね。残念ながら、なかなか成長できないし、うまくいかないことが増えていくでしょうね。

 

 

大人は自分を決めつけてしまうことが多いですね。「私はこういう人間なんで…」的な言葉で。

 

もちろん性格云々に関わることや矜持に関わることであればいいんですけど、気は進まないけれど少し努力をすればすむことにまでこういう言葉で逃げてしまったりしますね。大人はまぁ…いいですけど…今さら変わらない場合も多いですしね…。

 

ただ、小学生や中学生の子どもが自分に対して決めつけてしまうのはまずいですよね。

「私にはこれは難しい…」「私にこれはできない…」「私はこんなにできない…」

 

そんなわけがないですし、もうそこで成長を止めてしまう気なの?と。

将来、大人になって「私は小6の算数ができない」「私は中2の英語がわからない」と言うの?と。

 

成長するには自分がこうだと悪い方向に決めつけてしまわないことですね。

どうせするならいい方向に決めつけましょう。「自分なら何とかできるはずだ」とね。

 

 

今さらですが、そこから「何とかする」には成功体験が必要ですね。

悪い決めつけの原因となった「簡単過ぎる成功体験」ではなく、自分の自信となる「少し難しい成功体験」を。

 

そのためにどうする?まぁ、寄り添うしかないですよねぇ。背中を支えてあげる程度に。

 

 

 

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