「本人さえ勉強をやる気になってくれれば…」
という言葉をもう何度聞いたことでしょう。
確かに子どもが勉強にやる気になってくれれば、保護者としては嬉しい気持ちになるでしょう。
私も、塾生がやる気になって取り組む姿を見るのは清々しい気持ちになります。
しかし、子どもに対して「勉強をやる気になるまで待つ」「勉強をやる気になったらやる」を認めることは、「勉強をやる気にならなければやらなくてもいい」「勉強をやる気がなくなったらやめればいい」を認めていることと同じです。
やる気になっているテスト直前だけ頑張って、そうでないときは全然。
やる気のあるときは調子よくやるけど、ないとき全くできない。
そんなことでは、もちろん学力なんてつきません。
部活動で、試合前だけ一生懸命練習しているのと同じです。
やる気あるときだけやって、ないときはサボっているのと同じです。
そんなことで力はつかず、もちろん勝てるわけもありません。
勉強は、本人にやる気があろうとなかろうとやらなければなりません。
何せ、相手は「○学生」なのですから。特に小学生・中学生は義務教育です。
日本では保護者が「教育を受けさせる義務」を背負っていますが、「学校に行かせる義務」とは違うと思うのです。
子どもに対して大人が「社会に出るために常識を身に着けさせる義務」を背負っているのだと思います。
小学校・中学校での学習内容を習得できていないことを許容するということは、学力面で非常識のままになることをOKとすることです。
ご家庭で子どもに「自分の住所・電話番号を覚えていなくてOK。人に挨拶ができなくてOK。真夜中に近所迷惑になるレベルで大騒ぎしてOK。」とすることと同じです。
将来、子どもが「恥をかいてOK」としているのと同じではないでしょうか。
勉強は「やる気があるときにやる」ことではありません。
勉強は「やる気がなかろうとやる。やる気があるときはもっとやれる。」くらいのものです。
何でも【やる気】に左右されず粛々とやることこそ、本物の力になるはずです。