2日連続で塾生の女の子を泣かせてしまいました。
Sakura✿塾の塾長は女の子を泣かせる鬼塾長だ!と言われても、まぁ否定はしません。
泣かせたと言っても、怒鳴りつけてどうこうではありません。
私は問題と感じたことに関しては、塾生を問い詰めるようにしています。
問題が起こっている理由がわかってはいるつもりですが、私の知らない何らかの事情があって、それを考慮できていない場合があるからです。
こちらの勝手な思い込みで説教をするわけにはいきません。
だから、たいてい前半は「なぜ?」「どうして?」という質問の連続です。
今回の2人の女の子は、質問されればされるほどに、どんどん返答に窮するようになっていきました。
それは問題の原因が「自身の怠慢」だったからです。
質問の解答が「頑張っていません。」「ほどほどにしか努力していません。」しか見つからないからです。
「サボるな!」だの「全然努力してないやろ!」と怒られるのではなく、それを自白させられる。
要するに、自分がわかっていながら目をそらし続けていた問題に自分自身で直面させてられているのです。
これがなかなか苦しい。怒られて、「すいませーん」と言っているほうがよっぽど楽でしょう。
こらえようとしていた涙がポロポロと流れていました。
私は、いろんな場面で問題から「目をそらす」ことを見てきました。
「塾生が自身の問題から目をそらす」
「塾の先生が塾生の問題から目をそらす」
「保護者が子どもの問題から目をそらす」
「学校の先生が子どもの問題から目をそらす」
それは、問題を直視してしまうと、それを解決するための負担が必ず伴うからです。
成績だけを例にとれば、
塾生が自身の悪い成績を直視すれば、
今まで以上の努力が必要となるでしょう。
塾の先生が塾生の悪い成績を直視すれば、
今までにないことを提案し寄り添わなけいればいけないでしょう。
保護者が子どもの悪い成績を直視すれば、
学習塾に通わせるなど経済的負担からは逃れられないでしょう。
学校の先生が子どもの悪い成績からを直視すれば、
多忙の中でさらなる時間的負担がのしかかるでしょう。
だから、
塾生が自身の悪い成績から目をそらし、
「次は頑張る」なんていう口だけの気合論で逃げようとする。
塾の先生が塾生の悪い成績から目をそらし、
それっぽいアドバイスだけで「次は頑張れ」とほったらかす。
保護者が子どもの悪い成績から目をそらし、
子どもも「次は頑張る」って言ってるしもうちょっと様子見てみようかな…と先送りにする。
学校の先生が子どもの悪い成績から目をそらし、
悪い点の指摘だけをして、ただただ時が過ぎ自分の手をはなれるのを待つ。
成績だけでなく、いろんな問題でこんなことが起こっています。
問題は突きつけてあげなければ、まっすぐに向き合うことすらできません。
問題に直面しなければ、問題を解決することは絶対にできないのです。
問題を直視することは、一時的にダメージを受け、傷つくこともあるでしょう。
ただ、傷はむやみに乱暴につけたものでなければ、必ず回復し、その部分はより強くなるのです。
自身の問題から目をそらすことは「怠慢」であり「逃避」です。
そして、相手の問題から目をそらすことは「優しさ」にはなりえません。
相手の問題を解決してあげるために自分がすべきことからの「逃避」です。
問題から目をそらすことでそれが表面化しなかったとしても、水面下では時間とともに問題がより根深く大きくなっていきます。
その問題が表面化せざる得ないほどふくれあがった状態までほったらかせば、そこからかかる解決への負担は、問題から目をそらし始めた時に解決しようとした場合の比ではありません。
私だって、できることなら塾生の涙など見たくはありません。
塾生が苦しんで涙を流す姿を見ている私も、それと同じくらい苦しいものでした。
しかし、これこそが、塾生が塾生自身の問題に、私が塾生の問題に直面したという状態です。
おかげで、その瞬間から、私たちは問題解決への第一歩がスタートしました。