スポンサーサイト

  • 2023.04.15 Saturday

一定期間更新がないため広告を表示しています

  • 0
    • -
    • -
    • -

    考えることができる高校生になろう

    • 2014.09.28 Sunday
    • 10:30
    本日は天気がよく、運動会日和ですね。
    まぁ、周囲の小・中学校はとっくに運動会が終わっていたりするのですが。

    さて、高校部を発足させて1ヵ月が経とうとしています。
    私も半分以上手探りでスタートさせましたが、だいたいは想定通り。想定よりも多少忙しいという程度です。

    高校での勉強は、「より難度が高くなる」というイメージでしょう。
    まぁ、全くその通りなんですが、やっぱり、中学での勉強が基礎になっているのは間違いありません。

    例えば、三角比という単元で出てくるサイン・コサイン・タンジェント(中学生にとっては意味不明の呪文・大人にとっては「あ〜あったあった!」&その大半にとって「意味わからんかったけど」というもの)。
    これは、Sakura塾の中3生が相似・三平方を習ってからやっている比の計算方法(a:b=3:4なら、bはaの3分の4倍)と、三角定規がわかっていればそんなに難しいお話ではありません。
    妥当に式の変形さえできれば、公式も「そりゃそうだな」レベルのお話です。

    中学生も「基礎が大事」と耳にタコができるほど聞いていると思いますが、その単元の「基礎ができなきゃ応用がわからない」程度で済みます。
    が、高校の勉強は中学の勉強が基礎ですから、「中学の勉強ができなきゃ高校の勉強はわからない」というスケールのデカいピンチに陥るわけですね。

    高校生を教えているとよくわかりますが、高校生になって勉強が苦しくなるのはやっぱり「考えずに高校生になった子」ですね。
    やっぱりちったぁ考えないと高校の勉強という中学の勉強の応用には対応できなくなるようです。

    「丸暗記」「公式に当てはめる」「パターン練習を徹底する」これに終始するのはものを考えていません。
    「参勤交代」は答えられるのに、「参勤交代」の説明ができないとか…
    (x-a)(x-b)=0からx=a、bと正しい答えが導けるのに、x(x-a)=0の答えがx=aになったりとか…
    一通り説明したあとに「こうなったらこうすればいいってことですか?」みたいなこと聞いたりとか…
    こういう状態の子は「学んではいるけど、何も考えていない」と考えてもらえばいいと思います。

    とにかく、高校生になったときに困らない指導により磨きをかけなくてはいけませんね。

    何はともあれ、高校生の指導を始めたことで中学生指導の切れ味はさらに増すことでしょう。
    塾生たちのレベルアップを望むなら、先生たちがまずレベルアップすべきですからねっ!
    私とSakura塾が少なくとも地域で唯一無二の存在に上りつめるまで、地味に地味に頑張りまーす!



     

    自習

    • 2014.09.25 Thursday
    • 15:00
    本日は、明日の定期試験2日目に向けての自習会です。

    特別にドーピングのような授業をするようなこともなく、自分のための勉強を黙々とする時間です。
    定期試験の結果は、先生が取らせるものではなく、塾生が実力で取ってくるものです。
    それぞれに仕上がり具合が違うのですから、直前期の自学自習の時間は欠かせません。



    こちらは中2生たち。黙々とやっておられます。
    当然、自習監督の先生など教室に入っておりません。
    先生などいなくても、紙をめくる音が全員に聞こえるくらい静かに勉強しています。
    ちなみに、ホワイトボードに時間が書いていますので、休憩をしていても時間がくれば再開します。
    そりゃー時間ピッタリに静まり返ったりしませんが、だいたい時間がきて2分以内には静かになっていますね。

    自習時間なのに平気でしゃべっているとか、先生がいないと休憩状態が延々と続くなんてことは一切ありません。



    こちらは中1生たち。やはり中2と比べると姿勢は1段落ちます。
    全員ではないですしずっとそうしているわけでもありませんが、姿勢が崩れたり…時計を頻繁に見たり…ボーっとしてしまったり…という姿がちょこちょこ見られません。
    静けさは同じですが、姿勢や取り組みの面は中2生たちとまだ大きな差がありますね。
    姿勢や取り組みの面の鍛えがまだ足りないということです。
    勉強のやり方も…それ何の意味があるの?もうちょっと考えてやりや…と言いたくなるような勉強っぽいだけの方法をとっている子もまだいますね。
    まぁ中2とは1年違うわけですから、鍛えてきた時間が全然違うので仕方ないところはありますけどね。



    そしてSakuraJapan(中3生たち)。
    言うことないです。いつ見ても全員集中していることが後ろ姿でわかります。
    しっかり集中しているのと少し散漫になってるのとでは、体の傾きとか頭の動きがもう全然違うんです。
    ほんとにわかるんですよ。後ろから見るだけでまるわかりです。

    さぁ、これからちょっと長めの休憩です。アメをお食べ−!!!



     

    約束

    • 2014.09.25 Thursday
    • 11:00
    きのう、久しぶりに人と約束をしてそれを達成した。
    約束と言っても「会いにいく」という約束で、ただそれを達成しただけである。
    (ちなみに相手は以前勤めていた塾での先輩方。現在は、奈良で個人塾を経営。)

    私はどちらかと言えば何事にも十分な準備をしたいタイプなので、予定をつめてしまうことは少ない。
    人と約束をするのも、その予定が先であればあるほど抵抗がある。
    約束をするときと、約束を達成する時期にズレがあるからだ。今のところ大丈夫だけど…と心配になるのである。

    約束は人を動かす原動力になる。

    自分の楽しみな約束であれば、それは「その約束まで頑張ろう!」という力になる。
    「誰かと遊ぶ予定」とか、「旅行」とか、「長期休暇」なんてものがそれにあたるだろう。

    中学生は定期試験というお約束があるから、「いい結果出すために勉強、頑張ろう!」という力がわく。
    ほとんどの公立の中学生には高校入試というお約束があるから、「一夜漬けじゃなくて、実力つけなきゃ!」という力がわく。
    「試験」はそれほど好まれるイベントではないが、それが「頑張るための力」を与えていることは間違いがない。

    こう考えると、約束というには今を充実させるのにとても重要な気がしてきた。
    私ももう少し楽しみな約束を増やして日々の充実度を上げたほうがいいのかな…なんて思っているところである。

    まぁ、とりあえず今は明日の定期試験というお約束がありますけどね。



     

    やっぱりバカ(アホ)じゃダメ。

    • 2014.09.19 Friday
    • 11:00
    バカ(アホ)ってなんだろうと考えてみた。

    「頭が悪い=バカ(アホ)」が一般的な使われ方なんが、私の使っているバカ(アホ)とはちょっと違う。

    一般的な認識では、頭が悪い=バカ(アホ)とは学力が低いことを意味する。
    ノロマが、一般的な認識では走力が低いことを意味しているのと同じこと。

    となると、バカ(アホ)というのは能力的なことに対するただの悪口ということになる。

    だとすれば、私の使っているバカ(アホ)とはちょっと違うのだ。

    私は「君はバカ(アホ)なのか?!」と思ったり言ったりするときに、相手に対して「学力が低いな!」と思ったり言ったりしているつもりがない。

    私が使うバカ(アホ)は、「考えることすらできない」「ろくにものを考えていない(考えられない)」「ろくにものを考えていない(考えられない)人」くらいの意味である。

    「君はバカ(アホ)なのか?!」というのは、「君はろくにものを考えられないのか?!(そんなもん、ちょっと考えればわかることだろ?!)」ということ。
    「バカ丸出し」とは、「行動にろくにものを考えていないのが出ていて、見ているだけでそれがよくわかる」ということ。

    「私のこと、バカにしている」とは、「相手は私のことをろくにものを考えていない人だと思っている」ということだろう。
    たまに耳にする「私、バカ(アホ)だからよくわからない」も、「私、頭が悪いからよくわからない」より「私、考えないからよくわからない」というほうがよっぽどしっくりくる。そりゃー考えないならわからないだろう。

    一般社会でよく使われるバカ(アホ)も「学力が低い」より「考えない」という意味でとらえたほうがいいだろう。
    「バカ野郎!」なんてのも、「学力低い!」という悪口じゃなくて「ちったぁ考えろ!」という叱咤である。

    そう考えれば、やっぱりバカ(アホ)じゃダメだ。



    書きあげてみて、「バカ
    (アホ)」という言葉の多さに、このブログをアップすることに一抹の不安を覚えた。

    ただ、このブログを読んで「バカ(アホ)って言葉がいっぱい出てきて、教育者のブログとしてダメだ!」なんて思うのであれば、要するにそれこそが一般社会でよく使われるバカ(アホ)ということだと思う。




     

    優しい先生

    • 2014.09.16 Tuesday
    • 07:00
    優しい先生がうらやましい。
    優しい先生とは、中学生に「厳しい」とか「こわい」とか言われないような先生のこと。

    優しい先生 宿題編

    優しい先生「じゃあこの前の宿題確認しよっか〜。」
    生徒「やってません。」
    優しい先生「えーちゃんとやってこないとあかんやんか。」
    生徒「すいません。」
    優しい先生「じゃあ今日は宿題にしてたところからやろっかー。」
    生徒「はーい!」

    優しい先生 再テスト編

    優しい先生「さて、前回伝えた再テストの人は残って受けてや〜。」
    生徒「あっ再テストや!先生、忘れてました!」
    優しい先生「おいおい、この前言ったやないかー。」
    生徒「すいません。」
    優しい先生「じゃあ、準備もできてないやろうし、次の授業日にするからちゃんと準備して来いよ!」
    生徒「はい!じゃあ今日は帰ります。先生さようならー!」

    何がうらやましいって、こんな指導をするならば、先生なんてストレスもたまらずいい気になるだけの楽な仕事なんだろうな〜と思うからです。

    きっと、「厳しい」「こわい」と言われない優しい先生でいられるのは、生徒に対して無責任でいられるからでしょうね。
    なんだかんだ言って、こういう優しい先生にとっては生徒がその後どうなろうと知ったこっちゃないんです。

    先生にとっては、生徒が宿題をしていなくても痛くもなんともありません。
    しかし、その生徒は宿題をしないことでマイナスなことばかりが起こります。

    学習内容が定着しません。前回の授業までほとんど無駄になります。
    家庭学習が身につきません。むしろ、家庭学習をしないことが習慣化してしまいます。
    宿題を出さないなんて、とんでもないことです。そんなことでは学力が伸びるはずがありません。

    優しい先生の宿題編での行動は、預かった大切な生徒を伸ばすという責任を完全に放棄しています。
    Sakura塾であれば、宿題をしていないなんてことは徹底的に厳しく指導する対象です。

    先生にとって、再テストを忘れていたことだって痛くもなんともありません。
    しかし、その生徒が再テストを忘れるような生徒であり続ければろくでもない人間になります。

    当然ですが、テストで結果が悪かったから設定されているのが再テストです。
    わざわざ、準備不足やら不努力のためにろくな結果にならなかった自分(たち)のために、特別に設定されているテストなわけです。
    テストで十分な結果を出していればしなくてよかった特別なテストなわけです。
    それを平気で「忘れる」とはどういうつもりなんでしょう?

    先生と生徒の関係であろうと、それは約束です。約束を平気で忘れられるような人間は信頼されません。
    生徒がわざわざ自分のための特別な約束を忘れるような人間であることに、何も思わないのでしょうか。
    信頼を失う行為を平気でしている生徒に、正しく指導するのが先生という立場の人間なのではないでしょうか。

    優しい先生の再テスト編での行動は、預かった大切な生徒に関わる大人としての責任すら微塵もありません。
    Sakura塾であれば、休憩中に騒いでいた周囲の塾生まで一瞬で静まりかえるくらいの勢いで指導される対象です。

    怒るでも叱るでもどっちでもいいですが、それは大変なエネルギーを費やします。
    それこそ、思いっきりいった日は、もう帰るもめんどうくさいくらい疲弊します。

    そりゃー、怒りたくない叱りたくないのはやまやまですが、中学生ですからそういう指導が必要なときはあります。
    ほめる指導が大事だのなんだの言われたりしますが、怒ったり叱ったりしなくちゃならないときなんていくらでもあります。

    あまり理解されていないようですが、こちらは全然怒りたくも叱りたくもないんです。
    怒られて叱られる側も気分が悪いと思いますが、1番気分が悪くなっているのは怒って叱ってる本人です。

    でも、私には塾生に対する責任があります。私は将来の幸せを願うくらい塾生たちを愛しています。
    だからこそ、塾生に嫌な顔されてでも嫌われてでも、自身が気分が悪くなってでも疲れ果ててでも、全力で指導します。

    だから、優しい先生にはなれません。きっと塾生にとって、厳しくて、こわくて、うっとうしい先生なんでしょう。
    (それでも、Sakura塾で塾生がめったなことではやめていかないのは、塾生たちが、私の厳しさの中に私の塾生への思いをいくらか感じとってくれてるからだと思っています。)

    優しい先生であれば、生徒を指導して気分悪くて疲れ果てるなんて日はないんでしょう。そこだけはホントにうらやましい。
    それと同時に、そんな優しい先生に指導されている生徒たちというは、心の底から不憫だと思います。


     

    いつ頑張るか

    • 2014.09.14 Sunday
    • 23:00
    前回のブログから1週間以上がたってしまいました。
    少なくとも週に1回は更新…を守れなくて申し訳ありません。
    ちょっと週の後半にバタバタしておりまして(塾生はご存知ですね。)
    今週は落ち着いた1週間を送りたいと思っております。(が、定期テスト対策なのでまぁ無理…。)

    そんなバタバタの中(バタバタのおかげとも言える)、教え子に再会する機会に恵まれました。

    大学生になる直前に会って以来、1年数ヵ月ぶりです。
    近況を聞いたりしていると、どうやら充実しているようで嬉しくなりました。

    そんな子も、もちろん私の教え子ですから、中学生のときはハードな受験生生活を送りました。
    特に中学3年生の1年間は、かなりの時間を勉強に捧げていました。
    だからと言って、勉強について上手くいってばかりいくわけでもありません。
    悔しい思いをして涙していたこともありましたし、受験前には強い不安を感じていることもありました。
    学校の部活動もハードな部類のものに所属していましたから、自分の自由な時間なんてほとんどなかったんじゃないでしょうか。

    結果として、その子は学区内(当時)の公立トップに位置する高校に無事合格しました。

    その後の大学受験は、予備校や塾なども夏期講習にちょろっと参加する程度で、それ以外は自分で勉強をして関西の有名私立大学(関関同立のどれか)に現役で合格したそうです。

    そして大学生である現在は、学業と並行してバイトやボランティアに忙しくも充実の毎日を送っているようです。

    そんな教え子の様子を聞いて、やっぱり頑張るのであれば早い方がいいと心底思いました。

    生きて行くには、少なくともどこかのタイミングでかなり頑張る時期が必要なのは間違いありません。
    それが高校受験なのか、大学受験なのか、就職活動なのか、その後の社会生活なのか。

    中学生のうちに、自由がかなり制限されている今のうちに頑張っておくことで、その後の人生は決定的に変わります。
    最終的には、自由で楽しい充実した人生になるか、不自由で不満の多い苦行のような人生になるかくらいの差になります。

    これについて「なぜ?」なんてことを書いていたら超長文になるのでやめます。
    塾生にはどこかのタイミングでお伝えします(すでに伝えた学年もありますね)。

    頑張ることから逃げて後の人生で痛い目にあうくらいなら、今いっしょに頑張りましょう。



    Sakura樹くんツイッターを始めてから、なんだか長文が前ほど書けなくなりました…。
    やはり習慣というのは影響大ですね。最低でも週1はキープできるように頑張ります。

    ちなみに、Sakura樹くんツイッターのフォロワーはなんと…10名!世界最少ちゃいますかね?!
    まぁこちらからフォローはしないので、そうそう増えていかないのはわかってるんですけどね。
    ツイッターやってて、知っててもフォローしてくれなかったりしますからね…それはなんだかさみしいぞ!

    ということで、最近いろいろとバタバタしているSakura塾は今週も頑張りまーす!


     

    お金と時間

    • 2014.09.06 Saturday
    • 16:00
    Time is money. 時は金なり。
    時間はお金のように大事なものだから、無駄に浪費しないように。

    一般的に大事にする感覚が、「お金>時間」だからこういう言葉が生まれたんだろう。
    私の感覚では、完全に「時間>お金」なので、この言葉はあまりピンとこない。

    時間さえ費やせば、お金を得ることはできる。
    アルバイトというのは、基本的に自分の時間をお金と交換している。
    単純に時給850円であれば、1時間を費やして850円を得ているのである。

    しかしその逆、お金を費やしても、時間そのものを得ることは決してできない。

    できたとしても、特別にお金を払って高速道路や新幹線を使い、移動時間の短縮で時間を生むようなこと。
    しかしこれも、お金を使って「移動時間」と「自由時間」を交換しただけで、時間そのものは増えていない。

    お金をいくら費やしても、今日と明日の間に自分だけの24時間を挟み込むことはできない。

    中学生の期間は3年間。1095日間。26280時間。1576800分間。94608000秒間。
    結局は、その時間を何に費やすかを選択していくことによって、変化が起こっていく。

    もちろん寝ることや食べることなど、生きていくために必要な時間の消費もある。
    あくまで、必要最低限の消費をした後の残りを個々に費やしていく。

    1日。24時間。1440分。86400秒。これは刻一刻と減り続ける。
    お金との決定的な違いは、必要なときまで貯めておくことも、必要なときにまとめて使うこともできないこと。

    時間が必要な時にしか、Time is money.を意識できない中学生は、この1週間、大量の時間を無駄に浪費し続けたことだろう。
    この1週間、Time is money.を感じさせる行動をしている中学生は、時は金なりなんて時間を軽く見積もっていない。

    Time is life. 時は命なり。
    時間は命と同義。刻一刻と流れるこの時間が、未来の生活を決めていく。

    時間なんて、やるべきこととやりたいことの両方に費やしていると全然足りない。
    「暇」なんて感じているのであれば、やるべきことを放置しているのではないだろうか?

    今一度、時間の使い方を見つめなおしてはどうだろうか。

    と、時間が欲しい私は切実に思います。


     

    PR

    calendar

    S M T W T F S
     123456
    78910111213
    14151617181920
    21222324252627
    282930    
    << September 2014 >>

    ロゴ

    profilephoto

    -

    selected entries

    archives

    recent comment

    links

    profile

    search this site.

    others

    mobile

    qrcode

    powered

    無料ブログ作成サービス JUGEM