今年の夏も「2週間無料体験!」「講習費半額!」みたいな塾チラシがたくさんあった。
安いということを魅力としてそれを宣伝しているわけだけが、安いのは良いことなのだろうか。
安いほうが良いとされたのは、物を職人が作り上げていた時代から機械で大量生産するように時代が移ってからだろう。
要するに「同じ物(同程度の物)ならば安いほうが良い」ということである。
職人がひとつひとつ作った高い物より、機械で均質に大量生産によってつくられた安い物でいいというのは決して間違いではない。
もしSakura✿塾も「来月から授業料を25%カットします!」となれば保護者の方は大喜びだろう。(できませんよ?)
しかし、「来月から授業料を25%カットします!ただし○○塾に行って下さい。」となれば話は別。
大半の方はそれを受け入れないのではないだろうか。(受け入れませんよね?)
そもそも、それを受け入れるのであればSakura✿塾に来ていないだろう。
Sakura✿塾より25%授業料が安いだけの塾ならばよそにあるのだから、最初からそこにいくはずだ。
では、なぜ安くなるのにそれを良しとして受け入れないのか。
それは、同じ学習環境・同程度の指導が受けられないことが見込まれるからだ。
塾で学習環境や指導を提供するのは人である。人と物は違う。
同じ指導を受けている学校内にも、同じ研修を受けている職場内にも、学力や作業能力がピンからキリまでいるだろう。
人と物は違う。「機械で均質に大量生産」するようなことは、人に関してはできないのである。
はっきり言って、塾での先生研修みたいなもんで質の高いの素晴らしい先生がドンドン生み出されるわけはない。
人は大量生産などできないのだから、質の高さを維持するためにはそれなりのお金も必要になってしまう。
「アントニオ猪木のビンタ」を希望したとすれば、それにはそれなりのお金が必要になるだろう。
だからといって、安い「アントニオ猪木のものまねをしているおじさんのビンタ」には妥協できないのではないか。
(「アントキの猪木」くらいのクオリティであれば妥協するかもしれないが。)
変な例にはなったけれど、塾選びの際にお金で選ぶというのはそのくらいのことである。
安さが魅力のお店。
安いということは、安くできる程度のものである。
お店に並んでいるのは、機械で大量生産できる程度の質だが圧倒的な安さが魅力の物である。
消費者もそれをわかって買っているからそれでいい。
徹底的にコストを抑えた安っぽいつくりであることは見ればわかる。
「だいたい同程度のことができればいい」とわかって買っているからそれでいい。
しかし、安さを魅力として宣伝している塾も、基本的には安さが魅力のお店と同じであることはご理解いただいているだろうか。
安いということは、安くできる程度のものである。
安さだけが魅力の、研修で大量生産した程度の質の指導が提供されるということである。
保護者は指導を見ることはほとんどできず、指導の質の差もわかりにくい。
子どもは体験程度ではわからない。(体験のときだけいい先生をまわすことすらある。)
ただ、同程度の指導が受けられるということにはならない。指導は先生によって決定的に違うものである。
それは後に子どもの学力となって顕著に表れる。時間をかけて蓄積されるだけに、差は非常に大きいものになる。
安さを魅力として宣伝している塾は、安さしか魅力がない塾ですよと言っているのと同じである。
ついでにもうひとつ宣伝文句の話をしておけば、黒柳徹子のものまねをする人が「こんにちは、黒柳徹子です。」って言うのは、そう言わないと黒柳徹子のものまねをしているとわかってもらえないレベルだから言うだろう。
だから「先生の研修をしてますよ」とか「最強の講師陣」と宣伝するのは、それを言わないとわかってもらえないレベルの指導だからそんな当たり前のことをわざわざ宣伝しなければならないのである。
「先生の質?!大丈夫ですよ!ちゃんと研修してますからね!ね!」
「とにかく安くしますよ!とりあえず来て下さい!安いから!ね!」
外に出るチラシにこそ、その塾の考えが全面に出ていると言える。
さて、久々に長いブログになってしまいましたが、みなさんはうすうす感じておられることがあるでしょう。
そう、私はものまねがまぁまぁ好きです。