スポンサーサイト
- 2023.04.15 Saturday
一定期間更新がないため広告を表示しています
- -
- -
- -
私事ですが、今週から少々生き方を変えました。
って言っても、やることをやる時間をズラしただけなんですけどね。
でも、それだけでもいろんなことがいい回り方をしているように思います。
あまりこうする方はいらっしゃらないようなあり方かと思いますが、
そういう常識的なあり方の範囲で考えていたら今の状態はないような気がします。
現状を打破するには、とにかくまずは考えて、そして必ず行動にうつすことですね。
考えなしにやってもたいてい失敗するし、いくら考えても行動にうつさなければ変化しません。
そういえば、中学生の授業時間を少々変更いたしました。
19:15〜21:55 ⇒ 19:10〜22:00 です。
(中3のみ18:10〜22:00です。)
授業の前後が5分間伸びました。
塾生の通塾の様子から、前を5分早めても大丈夫と判断しました(19:10にはだいたい塾に到着してる)。
いろいろ考えて、塾としてもより良いをあり方を求めての変更です。
(当たり前のことですが、勝手に授業を長くして授業料が上がるなんてことはありません。)
何卒ご理解のほどよろしくお願い致します。
Sakura🌼塾は「台風に伴う暴風警報発令時」は休講となります。
その他の場合は、原則として通常通り授業を実施致します。
ただ、授業の出席・欠席に関してはご自宅周辺の状況や交通手段を考えてご家庭で判断いただければと思います。
よろしくお願い致します。
2016の夏が終わります。
…いや、まだ暑いやん。
でも、2016の夏が終わるんです。
Sakura🌼塾の夏は終わるんです。
どんな夏を過ごせたでしょうか。
各学年、何らかのテストで夏を終えましたが、手ごたえはどうですか?
いろいろあると思います。結果に出たり、結果に出なかったり。
最も大事なことは、
結果に出ようが出まいがこの夏に成したことがなくなるわけではないということ。
どのような状態になろうと、そこまで積み上げてきたものがなくなるわけではないということ。
結果が出るか出ないかは、それが目に見える形になるかそうでないかというだけの違い。
「見えない」ことと「ない」ことは違う。
君が努力をしたのに結果が出なかったのなら、それは「ない」のではなく「見えない」だけ。
さぁ、大事に積み上げたものを背負って、秋に向かおう。
私は今まで生きてきて、それなりに山場というのを経験してきました。
もちろんそんな大層なものではなく、生きていれば誰もが経験するくらいの「大切やけどしんどい時期」くらいの意味です。
私はね、そんな山場をいくつも乗り越えてきました!…というのは嘘です。
いや、嘘ではないかもしれません。結果的には乗り越えてきたことになるのかもしれません。
でも、そんな積極的に「乗り越えよう」と思ってきたわけではないんです。
「先生のくせにそんなことでいいんですか?」と言われても、実際にそうなんです。
実際は「ただただ何とかかんとか耐え凌いできた」だけなんですよね。別に乗り越えてない。
だって、しんどい時期なんですから、なかなか「乗り越えてやる!」なんて強い気持ち持てないじゃないですか。
私はそんな鋼のメンタリティを持ち合わせた人間でもなんでもないんですよ。
でもほんとにしんどいことも多々あったんですけどね、不思議と「そこから逃げてしまおう」とは思ったことはないんですよ。
そこだけは感じてたんだと思います。結局は「ここで逃げても、もっとしんどいことになるだけ」って。
「もっとしんどいことになるのはもっと嫌やし、それこそ耐えられへんから、ここを何とかするか…」的な、半分はあきらめです(笑)
何でもそうだと思うんですけど、しんどい時期ってほんとに耐えて凌ぎきる以外にないと思うんです。
そのしんどい時期、そのしんどい局面、そこから逃げてしまうという選択肢が最も悪手だと思うんです。
(いちおう触れておきますがイジメとかのしんどいとは違いますよ。スポ根的なしんどいの話です。)
そのしんどい時期、そのしんどい局面、そんなものは一生続くわけではありません。
それを耐えて凌ぎきったときには、やっぱりそれだけで力がつくわけですから、その分強くなる。
同じ程度であれば、もう普通に凌げるくらいの力がついてしまうんですよ。
「ただただ何とかかんとか耐え凌ぐ」だけでいい。明けない夜はなく、やがて光がさすんですよ。
むしろ、そのしんどい時期、そのしんどい局面から逃げてしまうと、形を変えてまたやってくるんですよ。
それこそしんどいことが連鎖し続けて、終わりなき闇に飲み込まれてしまいます。
しんどい時期やしんどい局面はね、人生の後半になればなるほど無慈悲でハードなんですよ。
だから、私は子どもたちにとにかく「いくらハードでも今は耐え凌いで欲しい」と思いますね。
厳しさの中で「なんとか凌がな」「どないかせんと」「ここさえ切り抜ければいける」って思ってやって欲しいんです。
厳しいは厳しいけどまだ慈悲深い環境の中で、しんどい時期やしんどい局面を経て強くなっておかないと。
その強さが「生きる力」かな〜みたいな。
でも、思いませんか?
「なんとか凌がな」「どないかせんと」「ここさえ切り抜ければいける」
って考えられるヤツは、きっと何をやらせても強いって。
そんな強さを身につけてくれるように、子どもをサポートしませんか?
えっ?何をすればいいのって?
大人は「大丈夫。負けるな。何とかなるよ。頑張ってみ。」って、
ちょっと逃げたい弱気な子どもの背中を支えてあげるだけでいいと思うんです。
身近な大人がそうしてくれるだけで子どもは強くなれるんちゃうかなって思います。
えっ?私はどうするのって?
「凌ぐべき時期」「どないかしなあかん局面」「切り抜けるべき山場」を提供します(笑)
慈悲深くね。
「忘」れるとは心を亡くすと書きますね。
あのとき味わった悔しさ…そしてそれに伴う決意…
忘れるとはそんな大切なものまでいっしょに奪い去ってしまいます。
絶対に忘れてはいけない何かは、それを思い出す仕掛けがセットで必要なのかも知れませんね。
やる前からね…
「これならできる」ってことばっかりやっててもつまらないでしょ。
やる前は…
「これ…できるか?」とかね、
むしろ、
「これ無理やろっ!」的なね、
そんなことのほうが挑戦しがいがあるし、達成したときの感動も違う。
できると予想できることができても、いろいろと想定内で終わる。
できると予想できなかったことができると、いろいろと想像以上のことになる。
常にそれではキツいけど、たまにある厳しい挑戦には喜んで立ち向かえ。
やる前から「できへん」「どうせ無理」とか言って逃げるのはダサいやろ。
スポーツで超強豪校と対戦になって「絶対勝てへん」「100%負ける」からって練習せんようになるか?
そんなわけない。とにかくやれるだけ練習頑張って、1%でも勝てる可能性を高める努力をして挑むんやろ?
どんなことでも、とにかく「どうすればできるか」を考えて、何とかしてやり遂げるという道を突っ走るだけ。
どうせ無理なら「やっても無駄」とか本気で思ってる?
100点満点のテストで90点以上が合格。
A君は「そんなん絶対無理」って、何もせずに10点やった。不合格。
B君は「とにかく挑戦する」って、必死でやって85点やった。不合格。
両方とも合格できてないよなぁ。だったらA君もB君も同じ?
両方不合格やし、B君はやった分だけ無駄なことしたってこと?
きっと思ってるんじゃない?「その努力は決して無駄にならんはず」って。
「できへん」「どうせ無理」「やっても無駄」って、そんな言葉で逃げててどうする。
失敗しても仕方ないくらいのことこそ、とにかくがむしゃらに全力で挑戦していけ。
やらんなら、
失敗するのが「当たり前」、成功するのは「ありえない」、挑戦すらせず「何も得られない」。
やるのなら、
失敗しても「仕方がない」、成功すれば「極上の達成感」、挑戦するだけで「必ず力がつく」。
メリットだらけ。どう考えてももったいないで、挑戦せんと。君が「無理」と思うことこそ。
小学2年生が、画数の多い「曜」を学ぶときとかね、
中学1年生が、「library」とか「difficult」を習うときとかね、
中学3年生が、解の公式を教えてもらうときとかね、
そんなときに何だかテンションが少々上がるのって大事やと思うんですよ。
社会で言えば、
「墾田永年私財法」とかね、
「連合国軍最高司令官総司令部」とかね、
「スリジャヤワルダナプラコッテ」とかね、
最近では「アウストラロピテクス」改め
「サヘラントロプス・チャデンシス」とかね。
そういうのに知的好奇心くすぐられて、
「スラスラ言えるようになったろ!」って思えるようなメンタリティーが養えれば、
きっと学力にはいい影響を与え続けるでしょう。
同じものを与えられても、どう受け止めるかで大きな違いが生まれるでしょうね。
むしろ、その差だけなのかもしれません。
与えられたものをポジティブに受け止められるか、ネガティブに受け止めてしまうか。
そう考えれば、常に前向きになれることは、全てを変える素晴らしい力ですね。
進撃の巨人という見た目にインパクトのある人気作品。
完全にフィクションの世界観。
最新の単行本20巻が今月発売されていた。
果たしてこの作品に多くの人は何を感じているのか。
助からないことが当たり前。何をやるのも決死の覚悟。命が簡単に奪われる。
「フィクション」と言われればそれまでかもしれないけど、
この作品の世界ほどではないかもしれないけれど、
日本も平和になる前はそういう世界だったんではないだろうか。
助からないことが当たり前。何をやるのも決死の覚悟。命が簡単に奪われる。
実際にそんな状況におかれた人の犠牲の上に、今の私たちの生活が成り立っているのではないか。
とまぁ、そんなことを私は思います。普通に生きていることはほんとうに幸せなことだと。
もちろん、日々普通に暮らしてるだけでも忙しいし疲れるし、
しんどいことやつらいこと、大変なこともいっぱいあって、幸せを実感するのは簡単なことではありません。
だけど、決死の覚悟で生きたことはまだないかな…と思います。
だから、私は必死で生きる程度のことにためらいはありません。
忙しいし疲れるし、しんどいことやつらいこと、大変なことを必死でやって生きる。
忙しい、疲れる、しんどい、つらい、大変なんてまぁ当たり前のことは、じゅうぶんに幸せでしょう。
それだけでなく、少なくともその当たり前の隙間に幸せを感じられる何かもありますしね。
一生懸命に必死で頑張って生きて、いろいろあるけど、明日はある。それは幸せですよ。
好きなだけ頑張れる。それがきっと報われる。それは異なる場所、異なる時代では、ものすごい幸せのはずなんですよ。
泣き言ばっか言ってないで…、
無駄なことに時間使ってないで…、
ないものねだりばっかりしてないで…、
何でもかんでも必死で一生懸命頑張ろー!必死で一生懸命頑張れることは幸せだっ!
Sakura🌼塾はね、大人気の塾にはなれないと思うんですよね。
理由は大きく2つです。
1つ目は「厳しい」から。
やっぱりね、「先生が優しい」とか、「授業がおもしろい」とか、「面倒見がいい」とか、そういう言葉が最初に
来るような塾のほうが人気が出やすいでしょう。
それらが「厳しい」とは相反するわけではないんですけどね…
とにかく「厳しい」は敬遠されやすいですからね、小・中学生からは特に。
2つ目は「課題(宿題)が多い」から。
「効率がいいから少なくてOK」とか、「質が高ければ量は少なくて大丈夫」とか、まぁとにかく楽な方が人気なんですよね。
「〇時間でできる!」とか、「××だけで大丈夫!」とか、そういう売り文句の本も山ほど並んでますもんね。
「課題(宿題)の多さ」と「効率」や「質」は全く無関係なんですけどね。
とにかく「課題(宿題)が多い」も敬遠されやすいですからね、小・中学生からは特に。
ということで、「厳しい」「課題(宿題)が多い」というSakura🌼塾らしさこそが、小・中学生敬遠される理由なんですから、人気は出ないでしょう(笑)
しかし「人気」なんてもんを得るために、Sakura🌼塾はあり方を変えるわけにはいかないんですよね。
Sakura🌼塾は、小・中学生に「厳しさ」と「課題(宿題)の多さ」は必要だと思っているからです。
もちろん、塾に通う目的が「塾に通っているという事実が欲しい」とか、「学校の友達と学校以外でいっしょに過ごすのに適当な環境が欲しい」とか、「勉強はしていますというアリバイが欲しい」なら話は別ですよ。
ただ、「成績を上げたい」とか、「学力を高めたい」とか、「成長したい」とか、そういうの小・中学生の塾に通う目的なのであれば、「厳しさ」と「課題(宿題)の多さ」は必要でしょう。
勉強に限らずどの分野でもそうではないでしょうか。「甘い環境で適度にやってればOK」ってどの分野なら言われるのでしょうか。
Sakura🌼塾への入塾を希望する場合、通う目的はまず間違いなく「成績を上げたい」、「学力を高めたい」、「成長したい」です。
そういう子たちのために、Sakura🌼塾はこれまでもこれからも変わりません。
一部の層に「Sakura🌼塾だけは行きたくない!」って言われるような不人気な塾のままです(笑)
別にそれを残念とも思わないんですよね。
とにかく楽に流れたいだけの小・中学生が易々と惰性で通えるような塾でありたいとは思いません。
ある意味で、そういう子に敬遠され「行きたくない」と言われるような塾でありたいなと。
塾生が通ってるだけで一目置かれるような、通っていることが頑張っていることの証明になるような塾でありたいなと。
…人気なくても頑張るぞ!人気が欲しいんじゃなくて、教え育て鍛えるために塾やってますねんっ!!!